勇気づけ特講に参加して
先日(12/5)青森で行われた「勇気づけ特講」に参加してきました。
そこで、学んだことはなにか?
★「子どもに対しては、『パセージ』が勇気づけになり、大人に対しては、『エピソード分析』が勇気づけになる」★
『勇気づけの歌』第9節に、『繰り返されるなら知ってやっている』とあります。ここを読んで、どんどん連想が膨らんでいきました。
先日、地元のパセージフォロー会で、自分とパートナーとのエピソードを取り上げてもらい、なるほどと思える代替案を作ることができました。ところが、しばらくして、また同じようなできごとがあって、やっぱり「カチン」ときました。こうすればいいんだなと分かっているはずなのに、またやっている、まさに『繰り返すなら知ってやっている』のです。
この「知って」いるのは、意識なのか、無意識なのか?意識は、「代替案=新しいやり方の方がいい」ことを知っています。一方、感情の動きを見ると、体は「もとのパターン」を続けようとしています。感情や体は、無意識が支配しているので、無意識の方は「古いやり方の方がいい」ことを“知って”いて、古いやり方を続けようとしているということだと思いました。
一体何がいいというのだろう?それは、「自分を守るため」。もともとが、どんなエピソードだったのかというと、パートナーからある仕事を振られる。それをやっている途中に、さらに「これもやって」と頼まれる。「えっ、いまこれやってんのに!」と心の中で叫び、その体の感じのままで、「今大事なところだから!」と強い口調で言ったり、「うん」と言いながら聞き流したりというリアクションをしてしまう。パートナーは別に私を責めるつもりで、次々仕事を振っているわけではありません。だから、こちらもカチンとくる必要はなく、「うん、今これが一段落したらね」とフラットに言えばいいだけなのに。無意識は、ちょっと感情的になって、やや反抗的になることを選んでいます。おそらく、「今、ちゃんと仕事をしているんだよ!」ということを相手に強くアピールし、自分の所属を守ろうとしているのだろうと考えました。それが、これまでの人生の中で培ってきた、自分を守る方法であり、慣れ親しんだパターンなのだと思います。
講義の中で、「勇気とは何か?」「勇気づけとは何か?」ということが再三問われました。今なら、「勇気とは、小さい頃からの条件付けに縛られずに、共同体に貢献的な行動を選択すること」、そして「勇気づけとは、共同体に貢献する方向への行動を選択できるように、無意識と意識に働きかけること」だと答えるでしょう。私たちは、小さい頃から、環境との相互作用の中で「自分」を作り、「自分を守る」ためのスキルを身につけていきます。環境とは、おもに他者、親をはじめとした人的な環境であり、その中で、自分の所属を確保するためのよりよい方法を学んでいきます。はじめは、さまざまな方法を試行錯誤していますが、そのうちある一定のパターンを獲得し、無意識の中に落とし込んでいきます。それが、「無意識的な条件付け」となって、大人まで持ち越されます。普段は、それでうまくやっていけるのですが、時にそれがトラブルを起こすもとにもなります。
「無意識的な条件付け」から逃れて、他者と協力的な人間関係を結ぶ方向に進むために、何をすればいいのか?子どもへのアプローチと大人へのアプローチは、少し違うように思います。
子ども達は、発達途上にあり、いままさに、様々なことを貪欲に吸収しているところです。そこでは、学びの環境が重要です。良い環境とは、「人との相互作用の中で、協力的なやりとりを学んでいくことのできる環境」です。親(あるいは、保育師、教師など)に子どもとの関わり方を学んでもらい、その関わりの中で、子どもに「共同体に貢献する方向への行動を選択できるような行動様式を学んでもらう」こと。これは、まさにパセージがやっていることです。日々の暮らしの中で、人と協力しながらやっていくスキルを身につけてもらい、それを無意識的な条件付けに落とし込んでいくことができればいい。だから、子どもに対しては、パセージが勇気づけとなるのだと思います。
一方、大人は、新しい行動様式を学び直すのが難しい。『勇気づけの歌』27節に、『隠れた目標意識にのぼらせて』とあります。まずは、自分の隠れた目標を言語化すること。エピソード分析の中で、再三やっているのはそのことです。「仮想的目標」を言語化し、その背景にある「私的感覚」を言語化し、自分の「癖」(行動様式)をはっきり自覚する、それがはじまり。今まで慣れ親しんだパターンから外に踏み出すには勇気が必要です。自助グループの中で、仲間からたくさんの勇気づけをもらいながら、新しい代替案を試します。新しい行動に対して相手役のいい反応がかえってくれば、自分を変えていくモチベーションが高まります。それを繰り返している内に、次第にそれが、新しい行動様式として定着していきます。だから、大人にとっては、エピソード分析が勇気づけとなるのだと思います。
アドラー心理学は深層心理学です。人は、意識(理性)だけでは変われません。自分のエピソードを頭に置きながら、二日間の講義と演習を受けたことにより、アドラー心理学が、意識だけではなく、無意識に対しての働きかけを重視していることがよく分かりました。特に、「パセージ」と「エピソード分析」が、単に言葉で知識を深めるだけのものではなく、意識と無意識のまるごとを射程に置いて行動変容を進めていく方法として活用できるものなのだと言うことを学ぶことができました。
講師の大竹先生、準備してくれたアドラーギルドの皆さん、そして、いっぱいいろんなお話を聞かせてくれ、刺激を与えてくれた参加者のみなさん、ありがとうございました。
そこで、学んだことはなにか?
★「子どもに対しては、『パセージ』が勇気づけになり、大人に対しては、『エピソード分析』が勇気づけになる」★
『勇気づけの歌』第9節に、『繰り返されるなら知ってやっている』とあります。ここを読んで、どんどん連想が膨らんでいきました。
先日、地元のパセージフォロー会で、自分とパートナーとのエピソードを取り上げてもらい、なるほどと思える代替案を作ることができました。ところが、しばらくして、また同じようなできごとがあって、やっぱり「カチン」ときました。こうすればいいんだなと分かっているはずなのに、またやっている、まさに『繰り返すなら知ってやっている』のです。
この「知って」いるのは、意識なのか、無意識なのか?意識は、「代替案=新しいやり方の方がいい」ことを知っています。一方、感情の動きを見ると、体は「もとのパターン」を続けようとしています。感情や体は、無意識が支配しているので、無意識の方は「古いやり方の方がいい」ことを“知って”いて、古いやり方を続けようとしているということだと思いました。
一体何がいいというのだろう?それは、「自分を守るため」。もともとが、どんなエピソードだったのかというと、パートナーからある仕事を振られる。それをやっている途中に、さらに「これもやって」と頼まれる。「えっ、いまこれやってんのに!」と心の中で叫び、その体の感じのままで、「今大事なところだから!」と強い口調で言ったり、「うん」と言いながら聞き流したりというリアクションをしてしまう。パートナーは別に私を責めるつもりで、次々仕事を振っているわけではありません。だから、こちらもカチンとくる必要はなく、「うん、今これが一段落したらね」とフラットに言えばいいだけなのに。無意識は、ちょっと感情的になって、やや反抗的になることを選んでいます。おそらく、「今、ちゃんと仕事をしているんだよ!」ということを相手に強くアピールし、自分の所属を守ろうとしているのだろうと考えました。それが、これまでの人生の中で培ってきた、自分を守る方法であり、慣れ親しんだパターンなのだと思います。
講義の中で、「勇気とは何か?」「勇気づけとは何か?」ということが再三問われました。今なら、「勇気とは、小さい頃からの条件付けに縛られずに、共同体に貢献的な行動を選択すること」、そして「勇気づけとは、共同体に貢献する方向への行動を選択できるように、無意識と意識に働きかけること」だと答えるでしょう。私たちは、小さい頃から、環境との相互作用の中で「自分」を作り、「自分を守る」ためのスキルを身につけていきます。環境とは、おもに他者、親をはじめとした人的な環境であり、その中で、自分の所属を確保するためのよりよい方法を学んでいきます。はじめは、さまざまな方法を試行錯誤していますが、そのうちある一定のパターンを獲得し、無意識の中に落とし込んでいきます。それが、「無意識的な条件付け」となって、大人まで持ち越されます。普段は、それでうまくやっていけるのですが、時にそれがトラブルを起こすもとにもなります。
「無意識的な条件付け」から逃れて、他者と協力的な人間関係を結ぶ方向に進むために、何をすればいいのか?子どもへのアプローチと大人へのアプローチは、少し違うように思います。
子ども達は、発達途上にあり、いままさに、様々なことを貪欲に吸収しているところです。そこでは、学びの環境が重要です。良い環境とは、「人との相互作用の中で、協力的なやりとりを学んでいくことのできる環境」です。親(あるいは、保育師、教師など)に子どもとの関わり方を学んでもらい、その関わりの中で、子どもに「共同体に貢献する方向への行動を選択できるような行動様式を学んでもらう」こと。これは、まさにパセージがやっていることです。日々の暮らしの中で、人と協力しながらやっていくスキルを身につけてもらい、それを無意識的な条件付けに落とし込んでいくことができればいい。だから、子どもに対しては、パセージが勇気づけとなるのだと思います。
一方、大人は、新しい行動様式を学び直すのが難しい。『勇気づけの歌』27節に、『隠れた目標意識にのぼらせて』とあります。まずは、自分の隠れた目標を言語化すること。エピソード分析の中で、再三やっているのはそのことです。「仮想的目標」を言語化し、その背景にある「私的感覚」を言語化し、自分の「癖」(行動様式)をはっきり自覚する、それがはじまり。今まで慣れ親しんだパターンから外に踏み出すには勇気が必要です。自助グループの中で、仲間からたくさんの勇気づけをもらいながら、新しい代替案を試します。新しい行動に対して相手役のいい反応がかえってくれば、自分を変えていくモチベーションが高まります。それを繰り返している内に、次第にそれが、新しい行動様式として定着していきます。だから、大人にとっては、エピソード分析が勇気づけとなるのだと思います。
アドラー心理学は深層心理学です。人は、意識(理性)だけでは変われません。自分のエピソードを頭に置きながら、二日間の講義と演習を受けたことにより、アドラー心理学が、意識だけではなく、無意識に対しての働きかけを重視していることがよく分かりました。特に、「パセージ」と「エピソード分析」が、単に言葉で知識を深めるだけのものではなく、意識と無意識のまるごとを射程に置いて行動変容を進めていく方法として活用できるものなのだと言うことを学ぶことができました。
講師の大竹先生、準備してくれたアドラーギルドの皆さん、そして、いっぱいいろんなお話を聞かせてくれ、刺激を与えてくれた参加者のみなさん、ありがとうございました。
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