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アドラーを語る3

今日は、アド研主催のアドラートークの会だった。今回は、アドラー心理学の理論、第3弾「全体論について」。欧米では、アドラー心理学は「Individual Psychology」と呼ばれている。日本語に直訳すると「個人心理学」となる。アドラーは、人間と人間との相互の関係性に注目してこの心理学の体系を作り上げたのだが、「個人心理学」というと社会と切り離した個人のことと誤解されるので、日本では「アドラー心理学」と呼び習わしている。

なぜ「Individual Psychology」と言うのか?アドラーは、個人は分割できない全体なのだと言うことを主張した。「Individual」というのは、「In-否定+divide-分割する」が語源で、つまり個人という言葉は、「それ以上分割できない一つの単位」という意味で使われている。

私たちはよく「理性ではいけないと知りながら、感情に流されてついやってしまう」と言う。個人の中で、心と体/意識と無意識/理性と感情などが、対立・葛藤していて、綱引きをして勝った方に引っ張られる。これは、フロイトのモデルからきている。フロイトは、人間の心をイド(本能的な欲動)と自我(理性)と超自我(道徳)に分けた。自我はイドと超自我の間に立つ調整役であり、あたかも三者の関係はそれぞれ自動車、ドライバー、交通法規に例えられる。

これに対して、アドラーは、「個人の中に葛藤はない」ということを主張した。心と体/意識と無意識/理性と感情は、お互いに協力しながら一つのことを成し遂げていると言う。

例えば、「子どもを怒ってはいけないということは分かっているけど、つい感情的になって怒ってしまう」人がいる。それは、“感情的になって怒って言った方が手っとり早く言うことをきかせられるから、個人としては怒ることを選択している、しかし、ただむき出しで怒るのは体裁が悪いので、理性ではいけないと知っていると表現している”と考える。つまり、理性と感情を上手に使って、他者に言い訳したり、あるいは、自分に言い聞かせたりしながら、ある方向性に向かっている。「葛藤の中でつい仕方なく」ではなくて、「自ら主体的に選択している」と考えるのだ。

同じことは、「食べてはいけないと言うことは分かっているけれど、つい手が出て食べてしまう」「たばこを吸ってはいけないと思っていても、無意識のうちに火をつけている」「以前先生に暴力をふるわれてこわいから学校へ行けない」「虐待を受けたから人を愛せない」ということにも応用することができる。

アドラー心理学では、理性と感情は、あたかも自動車のブレーキとアクセルみたいなものだと言う。アクセルだけでは暴走するので、上手にブレーキをきかせながら思う方向に進んでいく。ブレーキやアクセルによって人が動かされているのではなくて、人がブレーキやアクセルを上手に使っている。

全体論で考えることの利益は何か?自分の行動を感情や無意識、本能、性格、過去の出来事、習慣などのせいにしなくなるということだ。いつでも自分には選択肢があり、自分がそれを主体的に選び取っていると考える。ある意味でストイックな生き方になって、言い訳が聞かなくなる、しかしそれで自分の人生の主人公になれるのだ。

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Author:はる
北海道七飯町で小児科クリニックを経営。子どもたちのこころとからだの豊かな成長を願って、日々の診療、子育て相談、講演会活動を展開している。

名前:高柳滋治
仕事:はるこどもクリニック院長
   病児保育所はるっこ所長
趣味:アドラー心理学を学ぶこと
   草花の写真を撮ること
好きな言葉:
”今日は残りの人生の最初の日”

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