日本アドラー心理学会総会に参加して
10月15~17日に高松で行われた日本アドラー心理学会に参加してきました。
総会は野田先生の追悼式から始まりました。とても厳粛な追悼式でした。特に、文子さんの弔辞に深く胸を打たれました。野田先生の寝言の話が印象的です。誰かに向かって喋っている様子で、後で文子さんが伺うと、夢の中で「みんなが話を聞きたいと言うのだ」とおっしゃったというお話でした。アドラー心理学をみんなに伝えようという思いを最後まで持っていらっしゃったということが伝わってきました。
野田先生のお話は、何度でも、いつまででも聞いていたかったと思います。お釈迦様の弟子たちが、話を聞きたいと願ったように。もう生の野田先生のお声は聞けないけれど、今はライブラリであらためて聞くことができます。補正項も残っています。そしてアドレリアン掲載の論文も。野田先生は、今も私たちのそばにいます。そして私たちに大きな宝の山を残してくれました。残りの人生をかけて、味わい尽くしたいと思いました。
文子さんのあいさつの中の「この追悼式を企画していただいたおかげで、野田先生も、アドラー心理学会としっかりお別れができました」と言う一言が、とても印象に残りました。残された私たちにはいろいろな憂いはあるけれど、野田先生はすっきりと旅立たれたのだなとあらためて思いました。
総会には、やや緊張して参加していました。事前の掲示板でのやり取りから、荒れることを予想していましたが、意外に皆さん大人の対応でした。役員選挙規定に関しては、議案そのものは否決されましたが、意見のやり取りの中で、こちらの言い分の正しさが明らかになりました。向こうも弁護士を立てて準備したにもかかわらず、川尻さんの見事な誘導で、昨年の選挙に瑕疵があったことを認めた形になったのが良かったと思います。
一日目のシンポジウム、「エピソード分析、さらにその先へ~ライフスタイルtの成長を目指して」。まさしく野田先生の追悼にふさわしいシンポジウムになりました。三者三様に、エピソード分析によってどのように自分が成長したのか?と言うことが語られました。石川さんの発表の中の野田俊作ライブラリの音声を流すと言う演出が、とても心に響きました。村上さんが、最後に野田先生の遺影に向かって、あらためて誓いの言葉を述べていたのも印象的でした。
発表を聞いていて、エピソード分析の深さを思いました。自分ではある程度扱えるようになったかなと思っていましたが、先日の練成講座で、クライエントに寄り添えなかったと言う現実がありました。そのカウンセリングを今回石川さんが取り上げてくれ、丁寧に解説してくれました。おかげで、自分にとっての課題が、どこにあるのかわかったような気がします。そして、これから、この人たちと一緒に学び研鑽していくことができるのだと思えて、うれしくなりました。今後の学びの道筋が見通せたような気持ちです。
二日目、一つ目の演題発表「遊ぶ、働く、話し合う~地域での暮らしの中のアドラー心理学」。まず感じたことは、ずっと私たちがやりたかった子育て支援がそこにあるということです。しかも、私たちの考えたイメージ以上に広がっていました。子どもを対象にするだけではなく、そこに集まる大人たちの成長までが視野に入っているところがすばらしいと思いました。
アドラー心理学の目指す共同体感覚育成の場が、理屈ではなく現実のものとなってそこに存在していました。何より説得力があります。野田先生の共同体感覚に関する考え方も、この10年間で大きく広がり、かつ言葉で明確に語られるようになりました。それをしっかり受け継ぎ、しっかり育て、実を結ばせているところがすごいと思いました。
自分の地域に帰って、次の世代を担う人たちにこの話を伝えていきたいと思います。そして、一緒に協力し合って、今私たちの地域に求められている形で、少しずつでも実現していきたいと思いました。
そして自分たちの発表「治療共同体とカウンセリンググループ」。時間が押してしまったのが少し残念です。でも、エピソード分析の優位性とアドラームーブメントにかける村上さんの熱い想いが伝わったのではないかと思います。やや走りましたが、私が言いたかったこともしっかりお話しできました。
質疑応答や議論の中で、もっと深められたらとも思います。けれども、まずは皆さんに考えるきっかけを提供できたのではないかと思います。学会の中でも、これからも深めて行けたらと思います。少なくとも、アドレリアンに論文として残しておきたいと思いました。
二日目の午後からは、体力温存のために、学会会場を離れました。一日目のシンポ、二日目の二つの演題発表の三連ちゃんで、野田先生の残した理論、思想、技法の高まりをしっかりみなさんに伝えることができたのではないかと思います。大きな満足感、充実感を抱いて帰路につくことができました。
総会は野田先生の追悼式から始まりました。とても厳粛な追悼式でした。特に、文子さんの弔辞に深く胸を打たれました。野田先生の寝言の話が印象的です。誰かに向かって喋っている様子で、後で文子さんが伺うと、夢の中で「みんなが話を聞きたいと言うのだ」とおっしゃったというお話でした。アドラー心理学をみんなに伝えようという思いを最後まで持っていらっしゃったということが伝わってきました。
野田先生のお話は、何度でも、いつまででも聞いていたかったと思います。お釈迦様の弟子たちが、話を聞きたいと願ったように。もう生の野田先生のお声は聞けないけれど、今はライブラリであらためて聞くことができます。補正項も残っています。そしてアドレリアン掲載の論文も。野田先生は、今も私たちのそばにいます。そして私たちに大きな宝の山を残してくれました。残りの人生をかけて、味わい尽くしたいと思いました。
文子さんのあいさつの中の「この追悼式を企画していただいたおかげで、野田先生も、アドラー心理学会としっかりお別れができました」と言う一言が、とても印象に残りました。残された私たちにはいろいろな憂いはあるけれど、野田先生はすっきりと旅立たれたのだなとあらためて思いました。
総会には、やや緊張して参加していました。事前の掲示板でのやり取りから、荒れることを予想していましたが、意外に皆さん大人の対応でした。役員選挙規定に関しては、議案そのものは否決されましたが、意見のやり取りの中で、こちらの言い分の正しさが明らかになりました。向こうも弁護士を立てて準備したにもかかわらず、川尻さんの見事な誘導で、昨年の選挙に瑕疵があったことを認めた形になったのが良かったと思います。
一日目のシンポジウム、「エピソード分析、さらにその先へ~ライフスタイルtの成長を目指して」。まさしく野田先生の追悼にふさわしいシンポジウムになりました。三者三様に、エピソード分析によってどのように自分が成長したのか?と言うことが語られました。石川さんの発表の中の野田俊作ライブラリの音声を流すと言う演出が、とても心に響きました。村上さんが、最後に野田先生の遺影に向かって、あらためて誓いの言葉を述べていたのも印象的でした。
発表を聞いていて、エピソード分析の深さを思いました。自分ではある程度扱えるようになったかなと思っていましたが、先日の練成講座で、クライエントに寄り添えなかったと言う現実がありました。そのカウンセリングを今回石川さんが取り上げてくれ、丁寧に解説してくれました。おかげで、自分にとっての課題が、どこにあるのかわかったような気がします。そして、これから、この人たちと一緒に学び研鑽していくことができるのだと思えて、うれしくなりました。今後の学びの道筋が見通せたような気持ちです。
二日目、一つ目の演題発表「遊ぶ、働く、話し合う~地域での暮らしの中のアドラー心理学」。まず感じたことは、ずっと私たちがやりたかった子育て支援がそこにあるということです。しかも、私たちの考えたイメージ以上に広がっていました。子どもを対象にするだけではなく、そこに集まる大人たちの成長までが視野に入っているところがすばらしいと思いました。
アドラー心理学の目指す共同体感覚育成の場が、理屈ではなく現実のものとなってそこに存在していました。何より説得力があります。野田先生の共同体感覚に関する考え方も、この10年間で大きく広がり、かつ言葉で明確に語られるようになりました。それをしっかり受け継ぎ、しっかり育て、実を結ばせているところがすごいと思いました。
自分の地域に帰って、次の世代を担う人たちにこの話を伝えていきたいと思います。そして、一緒に協力し合って、今私たちの地域に求められている形で、少しずつでも実現していきたいと思いました。
そして自分たちの発表「治療共同体とカウンセリンググループ」。時間が押してしまったのが少し残念です。でも、エピソード分析の優位性とアドラームーブメントにかける村上さんの熱い想いが伝わったのではないかと思います。やや走りましたが、私が言いたかったこともしっかりお話しできました。
質疑応答や議論の中で、もっと深められたらとも思います。けれども、まずは皆さんに考えるきっかけを提供できたのではないかと思います。学会の中でも、これからも深めて行けたらと思います。少なくとも、アドレリアンに論文として残しておきたいと思いました。
二日目の午後からは、体力温存のために、学会会場を離れました。一日目のシンポ、二日目の二つの演題発表の三連ちゃんで、野田先生の残した理論、思想、技法の高まりをしっかりみなさんに伝えることができたのではないかと思います。大きな満足感、充実感を抱いて帰路につくことができました。
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