京都でアドラーを学ぶ
10月18~20日に京都で開かれた、日本アドラー心理学会に参加してきた。
今回で30回目となる記念すべき大会であった。
クリニックのスタッフも一緒に参加してくれた。

今学会の私にとってのメインは、「子どもが語るアドラー心理学を使う親、学ぶ親」のシンポジウム。このシンポジウムの発案はともにアドラーを学ぶ我がパートナーさん。わが娘もシンポジストの一人、そして私自身は司会を務めた。

野田俊作先生が日本にアドラー心理学を持ち込んでから31年。アドラー育児で育った子どもたちがすでに成人してきている。アドラー心理学の理屈で育てたらどんな大人に育つのか?誰しもが興味を持つところだ。今回は、3人のアドレリアンキッズに登壇してもらった。
子どもの側から見た親の奮闘ぶりが3人3様に語られた。ほほえましく、時に感動的で、笑いと涙が絶えないシンポジウムとなった。親のがわの下手な子育てを超えて、しっかり子どもたちは育っていっている。比較的早いうちに大人として成熟し、親と対等になり、いつのまにか親を超えて、親の成長を喜ぶ立場へと逆転していたりする。
子どもたちは、親から言葉で学び、親をモデルとして学び、親の働きかけから経験で学んだりして、いつの間にかアドラー心理学的な生き方を身につけている。私たちは、意識しないとアドラー心理学の実践ができないけれど、子どもたちは、はっきりとこれがアドラー心理学だと意識しないで、自然にアドラー心理学的な物の見方、考え方を身につけ、それを実践しているということがよくわかった。
中で印象的な言葉を・・・
「アドラーの子育ての成功(と言ってしまうと気恥ずかしいですが)は、子どもがアドラー心理学を学ぶようになったかどうかではなくて、子どもがアドラー心理学の目指すような、勇気づけられた人間になったかどうかなのだと思います。」
こんな風に語れるアドレリアンキッズを持って、私たち親はとても幸せだと思う。
せっかく京都に来たけれど、3日間会場に入りびたりで、びっしり学会行事に出席し、まったく観光をしなかった。せめてもの記念に、帰りに京都タワーをバックにポーズ。

学会前日に、短い時間であったが奈良の友人のところに遊びに行った。その時の風景を一枚。どこをとっても絵になる街だ。今度ゆっくり観光に訪れたい。
今回で30回目となる記念すべき大会であった。
クリニックのスタッフも一緒に参加してくれた。

今学会の私にとってのメインは、「子どもが語るアドラー心理学を使う親、学ぶ親」のシンポジウム。このシンポジウムの発案はともにアドラーを学ぶ我がパートナーさん。わが娘もシンポジストの一人、そして私自身は司会を務めた。

野田俊作先生が日本にアドラー心理学を持ち込んでから31年。アドラー育児で育った子どもたちがすでに成人してきている。アドラー心理学の理屈で育てたらどんな大人に育つのか?誰しもが興味を持つところだ。今回は、3人のアドレリアンキッズに登壇してもらった。
子どもの側から見た親の奮闘ぶりが3人3様に語られた。ほほえましく、時に感動的で、笑いと涙が絶えないシンポジウムとなった。親のがわの下手な子育てを超えて、しっかり子どもたちは育っていっている。比較的早いうちに大人として成熟し、親と対等になり、いつのまにか親を超えて、親の成長を喜ぶ立場へと逆転していたりする。
子どもたちは、親から言葉で学び、親をモデルとして学び、親の働きかけから経験で学んだりして、いつの間にかアドラー心理学的な生き方を身につけている。私たちは、意識しないとアドラー心理学の実践ができないけれど、子どもたちは、はっきりとこれがアドラー心理学だと意識しないで、自然にアドラー心理学的な物の見方、考え方を身につけ、それを実践しているということがよくわかった。
中で印象的な言葉を・・・
「アドラーの子育ての成功(と言ってしまうと気恥ずかしいですが)は、子どもがアドラー心理学を学ぶようになったかどうかではなくて、子どもがアドラー心理学の目指すような、勇気づけられた人間になったかどうかなのだと思います。」
こんな風に語れるアドレリアンキッズを持って、私たち親はとても幸せだと思う。
せっかく京都に来たけれど、3日間会場に入りびたりで、びっしり学会行事に出席し、まったく観光をしなかった。せめてもの記念に、帰りに京都タワーをバックにポーズ。

学会前日に、短い時間であったが奈良の友人のところに遊びに行った。その時の風景を一枚。どこをとっても絵になる街だ。今度ゆっくり観光に訪れたい。

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