アドラートーク「仮想論」
今日はアドラートークの会の日。8月、9月とお休みしたので、久しぶりのアドラートークの会であった。今回は、アドラーの理論5回目「仮想論」の予定であった。しかし、時間外の患者さんがいらして、私が中座してしまったので、急きょかえるさんにバトンタッチして、先日の練成講座で学んだ「ピンポン効果」のシェアリングをすることになった。
一人の方が、最近あった出来事をお話ししてくれた。その時の感情や考えを丁寧に聞いて、ホワイトボードに書き込んだ。まさにピンポンになっている状態をみんなで目で確認することができた。
どうして、こんな風にピンポンになっていくのか?ホワイトボードの図を見ながら「仮想論」から説明することができた。本来人は「平等の位置」にいるのだが、何らかの要因で勇気くじきを受け、「劣等の位置」に落ち込む。そこから這い上がろうとして、「優越の位置」を目指して努力をする。そもそも「劣等の位置」も、這い上がる先の「優越の位置」も、その人の頭の中の仮想なので、その努力は常に過剰補償となる。過剰補償となったところから、さまざまな人間関係の軋轢が起きてくる。

これがアドラー心理学の理屈の根幹だ。「どんな出来事が起きたのかではなくて、起きた出来事をどう見たのか」によって、人は行動する。つまり客観的な出来事がどうか(客観主義)ではなくて、主観的なものの見方(認知論)によって人は行動を選択するということだ。その人の主観的なものの見方なので、外からの働きかけ~たとえば、カウンセリングとか教育とかによって、いつでも人は変わることができる。
事例を出してくれた人も、問題だと思ったことが実は自分の思い込みから来るんだということが分かって、少し楽になった様子だった。やっぱり、アドラー心理学って素敵だなと思う。私は、このアドラー心理学の楽観的なところが好きなのだと思う。
一人の方が、最近あった出来事をお話ししてくれた。その時の感情や考えを丁寧に聞いて、ホワイトボードに書き込んだ。まさにピンポンになっている状態をみんなで目で確認することができた。
どうして、こんな風にピンポンになっていくのか?ホワイトボードの図を見ながら「仮想論」から説明することができた。本来人は「平等の位置」にいるのだが、何らかの要因で勇気くじきを受け、「劣等の位置」に落ち込む。そこから這い上がろうとして、「優越の位置」を目指して努力をする。そもそも「劣等の位置」も、這い上がる先の「優越の位置」も、その人の頭の中の仮想なので、その努力は常に過剰補償となる。過剰補償となったところから、さまざまな人間関係の軋轢が起きてくる。

これがアドラー心理学の理屈の根幹だ。「どんな出来事が起きたのかではなくて、起きた出来事をどう見たのか」によって、人は行動する。つまり客観的な出来事がどうか(客観主義)ではなくて、主観的なものの見方(認知論)によって人は行動を選択するということだ。その人の主観的なものの見方なので、外からの働きかけ~たとえば、カウンセリングとか教育とかによって、いつでも人は変わることができる。
事例を出してくれた人も、問題だと思ったことが実は自分の思い込みから来るんだということが分かって、少し楽になった様子だった。やっぱり、アドラー心理学って素敵だなと思う。私は、このアドラー心理学の楽観的なところが好きなのだと思う。
スポンサーサイト